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| イチゴ栽培の歴史 |
館山市の観光イチゴ狩りは、館野地区の山本と安布里(あぶり)、豊房地区の大戸で行われています。昭和56年に観光と農業を結びつけた新しい農業として始められました。今から20年ほど前のことです。 観光イチゴ狩りが始まるまでには、長年にわたる農家の人たちの努力と工夫がありました。イチゴ栽培の歴史を見てみましょう。
イチゴ栽培の始まり 館野地区で、本格的にイチゴ栽培が始まったのは、昭和20年代の後半です。それまでは、庭先や畑の隅で栽培され、地元の市場に出荷されているだけでした。安布里の秋山佐城さんが新しい品種のイチゴの苗を植え、栽培したのをきっかけに、木曽良雄さんたち数名が本格的にイチゴ栽培を始め、だんだんと広がっていきました。
その後、館野地区公民館長の山口斉さんが熱心にイチゴ栽培の研究に力を注ぎ、昭和30年2月に農事研究会ができたのをきっかけに、イチゴ栽培に積極的に取り組み始めました。 昭和30年7月には、館野いちご清浄栽培組合ができ、「幸玉」という品種のイチゴを取り入れました。これにより、昭和31年には、豊房や青柳地区にも広がり、豊房いちご組合も作られました。
東京の市場への出荷 この頃になると、地元の市場への出荷だけでなく、東京の市場への出荷も始まります。 しかし、当時の道路はとても悪かったうえに、イチゴの実は柔らかく、車での輸送は成功したことがありませんでした。出荷の時は、組合員が交代で毎晩トラックに乗り込み、途中数か所で止まり、イチゴの傷み具合を調べていました。
昭和33年の春には、東京の市場へ本格的に出荷が始まりました。市場でも「館山のイチゴ」として注目を集めます。 昭和34年には、千葉県のモデル集荷所として安布里集荷所が完成しました。また、この年には秩父宮妃殿下が布沼(めぬま)の花畑などを見学されたのをきっかけに、翌年から皇室に館野のイチゴを贈ることになり、今でも伝統行事として続いています。
ビニールハウスでの栽培 昭和36年には、ビニールハウスが取り入れられ、天候に左右されることなく、栽培出来るようになりました。その後、ビニールハウスも大型になり、昭和41年には、館野、豊房、青柳、高井地区で総面積10ヘクタールと、栽培面積も広がっていきました。 ビニールハウスは保温するために大変便利な施設でしたが、その一方で風通しが悪いため、イチゴの形が悪くなることが問題になりました。そこで、昭和48年にミツバチを利用した受粉が取り入れられました。また、昭和50年には電照栽培が始まり、収穫も増えていきました。

観光イチゴ狩りがスタート 昭和56年には、観光イチゴ狩りセンターがオープンしました。当時の開園時期は、2月から5月迄で、2万6千人から2万9千人くらいの入園者でした。その後、ハウスの大型化など施設も整ってきました。現在、2つあるイチゴ狩りセンターの1月から5月までの入園者数を合わせると20万人以上になります。 今では、館山市を代表する産業として、館山市を訪れる沢山の観光客に喜ばれています。 |
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